1870年ナポレオン3世100フラン金貨

個別コイン

先日のヘリテージオークションにて1870年のナポレオン3世100フラン金貨が出品されていた。
状態はAU53と決してハイグレードとは言い難いが、1870年銘は滅多に拝むことはできない。
(理由は後述する)
実際に出品されてたページがこれだ ⇒ 1870年ナポレオン3世100フラン金貨

こういう滅多にお目にかかれない金貨を見たときは、なぜかその金貨について調べたくなってしまう。
こういう調べごとをするのもコレクターとしての楽しみの1つなのだ。

1870年銘を見ることが少ない理由

結論

フランスは1870年に勃発した普仏戦争に敗れ、プロイセン王国(当時のドイツ)に50億フランの賠償金の支払いとアルザス・ロレーヌ地方を大幅割譲することになった。

この50億フランの賠償金支払いの為に1870年銘の100フラン金貨がプロイセンに流出し、溶解されたので現存されている物は極めて少ない。

普仏戦争の勃発理由

そもそもがスペインで1868年に革命が起こったことにより、王位が空になり王位継承問題が起こったことが発端。
当時は自国の王様になる為に他国の支持や後ろ盾が必要ということもあった時代で、有力国などが自国にとって都合の良い人を候補にたてることも多かったそうだ。

当時のプロイセンのビスマルクは自国と繋がりのあるジグマリンゲン家のレオポルドに白羽の矢を立てたが、それに待ったをかけたのが当時のフランスのナポレオン3世だった。
(結局レオポルドはゴタゴタに巻き込まれるのがイヤで即位辞退したが)

もしプロイセンと繋がりのある王様が誕生したら、フランスは地理的にプロイセン本国とスペインに挟まれる形になってしまい、挟撃されるのでは?と懸念を抱いた為「待った!」をかけたわけだ。

そしてフランスは駐プロイセン大使ベネデッティを介して「プロイセンと繋がりのある王位をだすな!」と高圧的?にプロイセン王ヴィルヘルム1世に対して迫った。

ヴィルヘルム1世は元々レオポルドの即位辞退に対しては「何も関与していない」
そしてこの即位問題に関しては「未来永劫約束はできるものではない」と厳しい口調で返答。
そしてフランス大使とは会わず、これ以上話すことは何もない。
(要はわしゃ何も知らんし、そんな重要な約束は何も知らん状態ではできんから会って話すことは何もない)
後のことはうまくやっといて、ヨロシク!!ということをビスマルクに電報を送った。

前々から戦争の大義名分がほしかったビスマルクはこの電報を改ざんして、フランスがプロイセン王に非礼を働き、不当な要求を突きつけたということにして世論の支持を得て戦争の大義名分を得たわけである。(世に言うエムス電報事件である)

「不当な要求はきっぱり断る」「フランス大使とは会わない」「これ以上話すことはない」という情報を断片的に強調してフランスとプロイセンの国民感情を強く刺激したことに関しては、今の時代のマスコミにも通ずるところがあるなと改めて感心した次第だ。

1870年銘100フラン金貨データ

基本データ

重量  :約32.33g

直径  :約35㎜

品位  :90%

発行枚数:10,460枚

ミント :A(パリ鋳造)

残存枚数:NGC 5枚 (AU53、AU58、MS61が各1枚ずつ、最高鑑定のMS62が2枚)

     PCGS 2枚 (AU55が1枚、最高鑑定のMS62が1枚)

1870年銘の発行枚数10,000枚は他の年号と比べても多い(1869年AとBB以外は発行枚数は10,000枚を割っており、最少発行年度は1868年のBBミントで789枚、)
残存枚数が7枚なのでこれだけで希少品で価値のあるものだと安易に判断ができる。

オークションレコード

ヘリテージ 2014年8月 NGC 1870A AU53 ⇒ 落札価格$123,375(withBP20%)
(期中平均レート106.85円で換算⇒\13,182,000)

ヘリテージ 2023年8月 NGC 1870A AU53 ⇒ 落札価格$192,000(withBP20%)
(為替レート145円で換算 ⇒ ¥27,840,000)

9年間で+$68,625とドル建てでは約+55%、円建てにすると約+111%となっている

ヘリテージオークションのコイン紹介文

以下、日本語訳をそのまま記載する。

ポレオン 3 世の独裁的で好戦的な統治にもかかわらず、彼が 18 年近い治世の間に大きな進歩を遂げた先見の明のある人物でもあったことは否定できません。彼は、オスマン男爵の指導の下、都市のインフラ、公衆衛生、現代のパリ市民の生活条件の改善を目的としたパリの改修など、さまざまな近代化プロジェクトや公共事業を開始しました。また、フランスの工業化と近代化を促進する経済政策を実施し、インフラ、鉄道、産業に重要な投資を行い、すべてフランスの経済成長に貢献しました。しかし、第二帝政の崩壊と痛ましい賠償金とアルザス=ロレーヌの喪失の後、彼の功績に対する感情は広く否定的なものになった。

ナポレオン 3 世 ゴールド 100 フラン 1870-A AU53 NGC、パリ造幣局、KM802.1、Fr-580、Gad-1136、F-551/14。一見すると、この月桂冠の 100 フランの鋳造額は 10,460 個と報告されており、この非常に尊敬されているシリーズの中でも比較的高額に見えます。しかし、普仏戦争で皇帝の治世が破滅的に終わったことは、フランスがプロイセンに巨額の賠償金を支払わなければならないことを意味した。正確な金額はフランクフルト条約によって定められ、フランスは50億フランの戦時賠償金を支払う義務を負った。この要求により、この最終年号の大部分は賠償金としてプロイセンに送られ、その後そこで溶解されることになった。かなり後になって希少品として認識されましたが、ほぼすべての個体が取り扱いによるある程度の磨耗を示しているため、少数の生存個体が流通に逃げた可能性が考えられます。

この例は、存在が知られている十数個以下の例のほとんどと同様に、特に皇帝の首と胸像の前に接触があった例が個別に認められていますが、すべての打たれたモチーフが大胆かつ完全に詳細なままであるため、際立ったオーラを維持しています。表面は、裏側のレジェンドを除けば、大部分がまろやかなイエローゴールドで、レジェンドのシルエットに淡い銅のタッチが見られます。一般に公開されるたびに、まれで祝われる機会となる。この個体を最後に販売した 2014 年以来、2 つの製品が市場に登場していることに注目します。1 つは 2021 年 11 月に約 215,000 ドル + プレミアムで販売された AU55 PCGS、もう 1 つは 2022 年 6 月に 288,000 ドル + プレミアムで販売された MS62 PCGS です。この珍しさには、貨幣史のこの重要な部分を手に入れる特権に対する熱意が少なからずあるでしょう。

調べてみて思ったこと

このクラスの金貨になるとトータルコストが輸入消費税込みで3000万円を超えてしまうが、お金だけではこの金貨の価値を計ることはできない。

この金貨が生き残っていること自体が奇跡なのだと思う、誰かがコインの回収時に隠し持ってくれていたお陰?で現存することができている。
そして150年以上コインコレクターの手から手に渡り、歴史が紡がれているのを思うと胸が熱くなる。

このような物を買うことができればもちろん値上がりを見込むことはできるが、それ以上に歴史の一部始終が自分の手の中に収まることの方が嬉しいのかもしれない。

今は指をくわえてオークションを眺めることしかできないが、将来的にこのような物が手に入れられる自分になっていたい。

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